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【サロメ】 (さろめ) 男性1:女性1 原作オスカー・ワイルド。森鴎外氏の訳を参照しています。 有償脚本はありませんので、画像や動画を作っての告知や、配信画像を作る事はできません。 【女性役】 名前表記の前に♀マークがついています。 ・サロメ……ユダヤの王女。 ・ヘロディアス……サロメの母。(脚本内「ディア」表記) ・侍女1、2……サロメに付き従っている侍女。 ・貴族2、4、5……にぎやかし。 【男性役】 名前表記の前に♂マークがついています。 ・ヨカナーン……預言者。ヘロデ王の命で井戸の底に閉じ込められている。(脚本内「ヨカナ」表記) ・ヘロデ王……ユダヤ王、へロディアスの夫。兄弟からへロディアスを奪っている。 ・兵卒1~3……城の兵。 ・貴族1、3……にぎやかし。 【配役表】 女性: 男性: ======================================= <城内、庭園。ヨカナーンが閉じ込められている井戸の傍。> 001♀侍女1:今日は一体何のお祭りなんですか? 002♂兵卒1:今日は国内外より沢山の方々がお見えになっている。        そうして、俺達にはわからないような宗旨(しゅうし)について、ああして語り合っている。 003♀侍女1:ああして怒鳴り合って、宗教のお話をしているのですか? 004♂兵卒1:そうさ。 ああして怒鳴り合って、俺達にはわからない宗教と金についての話を、永遠としているんだ。 005♀侍女2:そんな事より。 今日のサロメ様をご覧になりましたか? 006♂兵卒1:王女はいつだって美しい事だ。 007♀侍女2:今日はまた格別でございましてよ。 あの月をごらんなさい、いつもと違うでしょう。        穴倉から初めて顔を出して、初めて月光を浴びた顔(かんばせ)のような。        あれは今日のサロメ様と同じですわ。 008♂兵卒2:初めて月光を浴びた顔が、月と似るのか。 009♀侍女2:そうですよ、そうです。 女の顔(かんばせ)というものはそういうモノです。 010♂兵卒1:成程、花ではなく? 011♀侍女1:女がそんなに可憐な事がございますか。 012♂兵卒2:しかし王女は白鳩(しらはと)だ、小さな胸を張って庭園を闊歩する白鳩。        そして迷子になりくるくると小さく鳴いている鳩だ。 013♀侍女2:なあに? 随分城の中が騷がしいわね。 014♂兵卒1:今日はユダヤにローマにエジプトにカッパドキアが集まって、        俺達にはわからない宗教と金の話をしている。 015♀侍女2:折角の月が台無しね。 016♂兵卒2:今日の王女は死んだ月のような顔をしている。 017♀侍女2:あなたはサロメ様の事ばかり見ているのね。        そんなに夢中になっていては、きっと恐ろしい事が起きるわよ。 018♂兵卒2:恐ろしい事とは一体? そんな事があるものか。        月とはいえ、何千光年と離れている上にあのように死んでいる月の何が一体それ程に恐ろしい? 019♀侍女1:確かに今夜は酷く美しく見えるのよね、月もサロメ様も。 020♂兵卒1:俺には我らの王、ヘロデ王の方が余程陰鬱な顔をしていらっしゃるように見える。        一体どうして我らが王が、あのように沈んでおられるのか? 021♀侍女1:我らが父、我らがヘロデ王は宗教と金の大騒ぎを嘆いておられるのだわ。        きっとそうよ、嘆かわしい、労わしい。 022♂兵卒2:王女は蒼白な顔をしておられる。 あんなに陰気な女の顔(かんばせ)を俺は知らない。        あれが花ではない? 可憐とは違う? どう違うんだ?        俺には鏡に映った白いバラのように見える、あれ程美しく可憐な憂鬱がこの世にあるものか。 023♀侍女2:よしなさいな、よしなさいったら。 そうして王女様に夢中になるのはよしなさい。        きっと私達には想像がつかないような恐ろしい事が起きるわ、きっと起きる。 024♂兵卒1:俺達には想像がつかないような? それは一体どんな事だ? 025♀侍女1:今しがた城の中では、私達の範疇にはない宗教と金についての話が大盛り上がり。        私はそれの方がなんだか恐ろしく感じるわ。 026♂ヨカナ:俺の轍(わだち)を歩く者がある。 それは俺よりもずっと強い者だ。        俺のような矮小(わいしょう)な人間は、その男の革靴を結ぶのも、ああ、触れる事すら! 身に余るのだ!        その男の足取りは荒れ果てた里々を喜びに変えて、        その男の来訪は盲(めし)いたる者の目に光すら与えて、        その男の来訪は聾(ろう)いたる者の耳に音を届けるのだろう! 027♀侍女2:今の声は一体? きっと地獄からの声よ、死神がやって来たのだわ。 028♂兵卒1:あれは聖者の声だ。 029♀侍女1:あれが聖者の声? 井戸の底から聞こえたわ。 だから地鳴りのようにも聞こえた。 030♂兵卒2:いつも馬鹿馬鹿しい事ばかり言ってる。 031♀侍女1:聖者なのに? 032♂兵卒1:しかし酷く大人しい。 俺が毎日食事を届けているが、その度に俺に恭(うやうや)しく礼を言う。        そして、予言ができると言うのだ。 033♀侍女1:名前は何というの? 034♂兵卒1:ヨカナーンというらしい。 035♀侍女1:ヨカナーンはどこから来たの? 036♂兵卒1:なんでも、砂漠から来たと聞いている。 砂漠では大勢の人が彼を囲んでいたらしい。 037♀侍女2:あれほど恐ろしいのに? 一体何を言っているの? 038♂兵卒1:いや、俺達には皆目見当もつかない。 039♀侍女1:どうして井戸の底にいるの? 040♂兵卒1:我らがヘロデ王がそうしろと、そうすべきだと仰ったからだ。 王の言葉は絶対だ。 041♀侍女1:どうして井戸の底に閉じ込めているのかしら。 042♂兵卒2:見ろ、見ろ! 王女がお立ちなされた! ああとんでもなく顔色が悪い。        こちらの庭園に出てこようとしている、王女がいらっしゃるぞ。 043♀侍女2:本当におよしなさい、いい加減になさって。 そうして王女様に夢中になってばかりで。 044♂兵卒2:ああ、来るぞ、来たるぞ。 サロメ王女がこちらに来たる。 045♀侍女2:止めなさい、本当に。 恐ろしい事になるわ。 046♂兵卒2:庭園を闊歩する白鳩(しらはと)だ。 それがくるくると鳴きながらこちらへやってくる。        それのどこに恐ろしい事があろうか! <サロメ、城内から庭園へ出てくる。> 047♀サロメ:ああ! 面倒臭い、汚らわしい! どうして私はこんな場所にいなければいけないの?        どうして我が王ヘロデは、私の事ばかり、私の顔(かんばせ)ばかり見ていらっしゃるの?        お母様のご亭主たる王が! 私の事をあんな目で見ているのはおかしいのではなくて?        ──まあ、全部わかっているのだけど。 048♂兵卒1:ああ、いらっしゃったぞ。 049♀サロメ:ここの空気は良いわね。 ええ、こここそ私がいるべき場所だわ。        ユダヤ人は宗門(しゅうもん)の儀式について噛みついて、        エジプト人は無口な癖に横着なまるで死体を狙うハイエナ。        金にしか興味がないカッパドキアに、そう。        一番野蛮なのはローマよ、今でもあの乱暴な言葉遣いが聞こえるよう! 050♂兵卒2:ご機嫌が悪いようだ。 051♀サロメ:今日の月、お前は綺麗ね。 お前はどこまでも冷たい銀の花だ、そう、だから清いの。        女でいう所の処女よ。 処女の顔(かんばせ)よ。  私の一番のお友達。        ありもしない永久(とこしえ)の純潔を願う処女に、お前はよく似ていると思うの。        だから顔を隠したり、覗かせたり。 清いからこそ女を知っているのだわ。 052♂ヨカナ:見ろ、見ろ、見ろ! おいでなさったぞ、人の子が這い出てここまでいらっしゃった! 053♀サロメ:今の声は何? 誰が喋っていたの? 054♂兵卒2:殿下。 あれは預言者でございます。 055♀サロメ:ヘロデ王が怖がっておいでになる噂の預言者ね。        あれは、私の母様を悪く言っているそうね。 056♂兵卒2:殿下。 そういう事は存じ上げません。        兎に角、先程の声は預言者ヨカナーンの声でございました。 057♀サロメ:私の母様の身の上に、あれやこれやケチをつけている男というのはソイツね? 058♂兵卒2:殿下。 我々は少しも存じ上げません。 059♀侍女1:サロメ様。 お顔の色が優れないご様子ですわ、少しお庭を散歩なさっては如何ですか。 060♂兵卒2:ああ、それがよろしいでしょう。 昼間に庭師達が張り切っていたのを見掛けました。        成果をご覧になっては如何でしょうか。 061♀サロメ:皆がそうして私を遠ざけるという事は、間違いないようね。 062♂兵卒1:殿下。 城内の者がお戻りになるのを待っています。 063♀サロメ:帰らない。 064♂兵卒1:殿下。 どうぞ席へお帰りになった方が宜しかろうかと存じます。        お許し賜る事さえできますれば、私(わたくし)がお席へご案内致しましょう。 065♀サロメ:その預言者というのは歳をとっているの? 066♂兵卒1:いいや、殿下。 まだ若い男でございます。 067♀サロメ:ふうん。 ねえ、ねえ、もう一度喋らないかしら、なにか面白い事を言わないかしら。 068♂ヨカナ:頭(こうべ)を垂れろパレスチナ。 お前のぬか喜びは滑稽に映っている。        ああそれは何故か。 蛇の種からは一目で殺すバジリスコスの龍が出でる。        そうしてその子らが皆一斉に飛ぶ鳥を丸呑みにするのだ、一息だ!        お前はまだそれを知らないのだ、そう、お前だけが知らないのだ! 069♀サロメ:なんて妙々(みょうみょう)たる声をしているの! 初めて聞いたわ!        私、その男に会って話がしたい。 身近で声を聞きたい! 070♂兵卒2:殿下。 国王陛下が誰にも会わせてはいけない、閉じ込めておけと仰せです。 071♀サロメ:今私が許すわ。 どうしても会って話したい。 072♂兵卒2:殿下。 誰もアレと言葉を交わす事は許されていません。 073♀侍女2:サロメ様、お召し替えを致しませんか。        そのように素敵なお召し物でも、こんなに寒い場所では御身(おんみ)が冷えてしまいますわ。 074♂兵卒2:ああ、それがいいな。 殿下、如何でしょうか。 075♀サロメ:私はどうしても話したい。 076♂兵卒1:殿下。 それはできません。 077♀サロメ:私はどうしてもアレと話をしたいの。 お前、預言者をここへ連れておいで。 078♂兵卒2:殿下。 王が禁じております。 079♀サロメ:<井戸を覗き込む> まあ! なんて暗い、深い井戸なのかしら。        こんな黒々とした井戸の底で暮らすのは退屈でしょうに、可哀想。        こんな所に閉じ込められて、なんの光も届かないのでしょうね、気の毒だわ。        <兵卒2へ向けて> お前、私の言った事が聞こえないのかしら。        この井戸の底にいる、気の毒な預言者をここへ連れておいで。 私が話したいのだから。 080♂兵卒2:殿下。 どうかそればかりは。 081♀侍女2:どうしよう、嫌な予感がするわ。 082♂兵卒2:殿下。 ご免を願いとうございます。 他のご命令なら命を投げ打ってでも、いくらでも。 083♀サロメ:お前。 私の言う事を聞いてくれるだろうね。 いやとは言うまいね。        私はいつもいつもお前に目を掛けてやったよ。 まだ足りないと言うの? 生意気な口ね。        お前に目を掛けているこの私は、預言者というその男を見たいと言っているんだよ。 084♂兵卒2:殿下。 閉じ込めておけと仰せです、国王殿下が。 085♀サロメ:お前は私の言う事を必ず聞いてくれるよね。        そうだ。 私が明日輿(こし)に乗ったその時は、お前だけに小さな花をあげようね。        お前だけに拾わせてあげる。        お前は何色が好きなんだろうね、私は白がいいと思うよ、純白。 それをお前は好きにしていい。 086♂兵卒2:殿下が何と仰っても、こればかりは! 087サロメ :お前はしてくれるよ。 お前は必ずしてくれる。        明日の朝、花と一緒に。 私が被っている紗(しゃ)の下からお前を一目見てあげる。        そうして微笑んであげてもいいわ、きっと微笑んであげる。 私とお前だけの約束よ。        ね? 私をご覧。 ね。 ね? お前はきっとしてくれるだろうね。 違いない。        お前は私の言う事を、きっとしてくれるんだわ。 088♂兵卒2:……預言者を、連れて参ります。 089♀侍女2:ああ! 090♂兵卒1:なんて事だ、王の命(めい)に背いた! 091♀侍女2:サロメ様の微笑み一つで! 092♂兵卒1:明日ヤツの首は門扉(もんぴ)の上だ。 そしてそれはもう二度と俺達と喋らない。 093♀侍女2:ほらね、予感が当たったわ、なんて恐ろしい月なんでしょう! だから月は人を惑わすと、私は言ったわ! <ヨカナーン、サロメの前に現れる。> 094♂ヨカナ:罪の杯に溢るまで酒を注(そそ)いだあの馬鹿はどこにいるのだ。        近いうちに銀の上着を着て皆々が見る前で死なねばならない男はどこにいるのだ、一体どこだ!        その男をここへ呼んでこい、必ず呼んでこい。        砂漠の砂粒一つ一つに聞かせた声を、絢爛(けんらん)たる宮殿の中にも響いた声を聞かせてやるのだ。 095♀サロメ:アレは何の事を言ってるの? 096♂兵卒1:殿下。 我々にも、誰にもわかりません。 097♀サロメ:ふうん。 098♂ヨカナ:絵に描いた男の前に立っていた女はどこにいるんだ。        ハルデア人を描いた絵の前にじいっと立って、彩色(さいしき)に目が眩んだばっかりに、        ハルデアへ使者を遣(や)ったあの女はどこにいるのだ! 099♀サロメ:アレはわかるわ。 私の母様の話ね。 100♂兵卒1:殿下。 そんな事はございません。 101♀サロメ:いいえ。 きっと私の母の話よ、間違いない。 102♂ヨカナ:アッシリアの隊長共に体を明け渡したあの女はどこだ!        筋骨隆々の体を金銀の盾や兜で巨人のように着飾ったエジプトの若者にすら        肉欲を明け渡したあの女はどこにいるんだと言っている!        罪悪の褥(しとね)、血族結婚の閏(うるう)を貪っているのなら、寝床で惰眠すら貪っているのなら!        起こして我が前に連れてこい、主(しゅ)の為に道を開く者の言葉を聞かせてやる。        お前が過去葬り去った悪事を悔いる為の言葉を髄まで聞かせてやる!        しかし強情な女だと俺は知っているぞ。 ああ知っている。        もし悔やむ事すらできずに罪悪の境界を離れまいとするのなら、        主の道を持った俺がここで打ち懲らしめてやる。 103♀サロメ:<笑う> まあ、まあ! なんて恐ろしい男なの! 104♂兵卒1:殿下。 どうかこの場から一歩も動かないで下さいまし。 105♀サロメ:何よりあの目。 見た? あの目が一番恐ろしいわ。        あの目は月の光すら無碍(むげ)にできる黒い湖ね。 まだ何か言うかしら。 106♂兵卒1:殿下、何卒。 私(わたくし)の傍を離れないで下さい。 107♀サロメ:酷い瘦せ方ね。 丁度、象牙細工の人形のようだわ。        ……さっき私は湖のようだと言ったわね、違った。        月よ。 純潔、あの男は純潔なの、まるで処女のよう。        私の一番のお友達が、こうして人の形を持って地に飛び降りたんだわ。        あの肌の滑らかな事を見てご覧。 象牙のように滑らかで冷たい肌を。 108♂兵卒1:殿下、いけません、殿下! 109♀サロメ:何がいけないの? どうしていけないの? 私はあの男をもっと傍で見たい。 110♂兵卒1:殿下! 駄目です! お戻り下さい! 111♀侍女2:また恐ろしい事が起こるんだわ……。 112♂兵卒1:殿下! 殿下! 113♀侍女1:もう、見ている事すら恐ろしいわ。 114♂ヨカナ:──俺を見ているのは誰だ? あの女は誰だ。 俺はその目で見られたくない。        あのてらりと光る黄金(おうごん)の瞼、その下の黄金(こがね)の目でどうして俺を見ている?        あの女は誰だ、ああ、名前なぞ聞きたくない! 早くあの女をどこかへ連れていけ! 115♀サロメ:私はサロメよ。 妃へロディアスの娘、ユダヤの王女、サロメ。 116♂ヨカナ:下がれバビロンの娘! 主(しゅ)が選んだ俺に近寄るな! 今すぐ立ち去れ!        お前の母は快楽の酒を世に蔓延させた、そうして世には罪が溢れた!        お前の母の罪悪は俺に聞こえている! 天にも届いている! 117♀サロメ:ヨカナーンといったね。 もっとお喋りよ。        お前の声は、私の耳には心地好い音楽のように聞こえるのだから。 118♂兵卒1:殿下! ああ、殿下! お戻り下さい! 119♀サロメ:教えて。 私はどうすればいいの? お前はどうしたら私を好きになってくれるの? 120♂ヨカナ:ソドムの娘、姦淫(かんいん)の子。 それ以上俺に近付くな。        お前はその小さな頭に紗(しゃ)を被り、そしてその髪へ灰を播(ま)くのだ。        そうして砂漠へ行って、人の子と会うがいい! 121♀サロメ:その人の子とは誰の事? ねえ、その人の子もお前のように美しいの? ヨカナーン。 122♂ヨカナ:俺に近寄るな! 俺の耳には、この宮殿で嫋やかに羽ばたきを繰り返す死の天使の翼の音が聞こえる! 123♀サロメ:ヨカナーン。 何をそんなに怯えているの? 124♂兵卒1:殿下! お戻り下さい! 125♀サロメ:ねえヨカナーン。 私はお前に惚れた、お前の体は白百合のように白くて細い。 それがいい。        鎌が触れたら呆気なく手折れるというに、そうして妙々たる声で歌っているのがいい。        そう、冬に降る雪、織り成されたばかりの紗、蒼褪めた女がつま弾く琴、        里に微笑む今日の月のように清いのよ。        アラビアの香料、妃の為の香料をお作りになる庭のバラでも、お前程美しく咲くバラはあるまい。        海に座す月の乳房の幻よりも、ああ! 世界のありとあらゆる美しきよりお前の体が美しい。        一度でいい、お前の体に触らせておくれ。 126♂ヨカナ:下がれバビロンの娘!        この世界へ罪悪が来たるは女の仕業(しわざ)だ。 これ以上俺に何も言うな。        お前の声は聞きたくない。 俺が聞くべき声は主(しゅ)の声だ、神の声だ! 127♀サロメ:私はお前の全てに惚れたよ、ヨカナーンや。 爪先から髪まで何もかもが美しい。        長い夜の帳(とばり)の中、小さな星々が心細さに群がる宵も、お前のその髪程黒くはない。 128♂兵卒1:殿下! もうお止め下さい! 129♀サロメ:森の奥の奥に詰め込まれた静寂(しじま)すら、きっとお前には平伏すのだろうね。        さあ、お前のその髪に触らせておくれ。 130♂ヨカナ:ソドムの娘! 下がれと言っている!        この体に触る事ができると思うな。 神の宿ってお出でなさる体だ。        主(しゅ)の住まう体だ。 お前が触れるだけで穢(けが)れる! 131♀サロメ:でもどうした事か、同じくらいお前の全てが嫌いだ。        埃だらけの汚らわしい体に、蛇のように垂れ下がるお前の髪に。        ああでも、唇だけは違うね。 私はお前のその唇を所望するわ。 132♂兵卒1:殿下! 133♀サロメ:熟した柘榴(ざくろ)を銀の小刀で割った時より、お前の唇は美しい。        柘榴の花はバラの花より赤いけれど、お前の唇程赤くはない。        葡萄酒を醸(かも)す娘共の小さな足よりも赤い。        世界で一番美しい、気に入ったよ。 さあ、キスをさせて。 134♂ヨカナ:ならん! 135♀サロメ:どうして? キスをさせて。 136♂兵卒1:殿下! 王女たるあなたが、麗しき鳩の中の鳩のようなあなた様が!        どうぞこの男をこれ以上ご覧になる事は、言葉を掛ける事はお止め下さいませ!        黙って見ている訳には参りませぬ! 137♀サロメ:キスをさせて、ヨカナーン。 私はお前にキスをしなければならない。 138♂兵卒1:ああっ! <兵卒1、自殺してサロメとヨカナーンの間に倒れる> 139♀サロメ:お前のその唇にキスをさせておくれ。 いいだろう? 140♂ヨカナ:やあ、命が一つ凍ったぞ。 動じないのか、困惑せんのか、ヘロディアスの娘。 141♀サロメ:キスをさせて、ヨカナーン。 142♂ヨカナ:これはいよいよだ。 こんなお前を罪から救い上げるはこの世でたった一人だ。        早く行ってその男を訪ねろ。        その人は今、ガリレアの湖上の船の上にいて、お弟子達に説教をしておいでなさる。        お前はその湖の岸へ向かい、膝をついてそのお方の名前を呼ぶのだ。 高らかに!        そのお方は自分の名さえ呼ばれたら誰の所へもおいで下さる。        そしてその方がお出でなさったらお御足(みあし)の元に身を低く低く倒して        今までの罪を許しておもらい申すがいい。 143♀サロメ:ヨカナーン! キスをさせて! 144♂ヨカナ:ええい、呪われた女! 穢れた交わりの下産まれた娘! そうして呪われておれ! 145♀サロメ:お前のその唇にキスをさせておくれ、ヨカナーン! 146♂ヨカナ:俺はお前を見たくない。 お前は呪われていろ、サロメ。        そうして呪われていろ、あの星々が落ちるまで呪われていろ、永遠と呪われていろ! <ヨカナーン、立ち去る。> 147♀サロメ:──必ずよ、ええ、必ず。 他でもない、この私がそう言っているの。        私、必ずお前にキスをするよ。 ヨカナーン。 <ヘロデ王、ヘロディアス、庭に現れる。> 148♂ヘロデ:これこれ、何の騒ぎだ。 サロメはどこにいる。 149♀侍女1:ヘロデ王。 150♂ヘロデ:今夜は月が変に見えるな。 ん、違うか。 気の狂った女のような月だ。        男を探している娼婦のような月だ。 酒に酔って雲の中をよろけながら歩いている女だ!        おや。 どうして兵が死んでいる。 何故我が城内に血が、死骸が。        私はこんなものは見たくない。 早くあっちへ持っていけ。 151♀侍女2:私(わたくし)達は、ただ見ていただけにございます。 152♂ヘロデ:そうか、そうか。 わかったから早く持っていけ。        敷物を敷け、松明を点けろ。 ここで客人たちとも少し酒を飲もう。 153♀侍女1:畏(かしこ)まりました。 <侍女1、2、立ち去る。> 154♂ヘロデ:しかしサロメはどこへ行った。 妻よ、お前は自らの娘の行方を知らないのか。 155♀ディア:知りません。 それに、そんなに見てお出でになるのは宜しゅうござりません。 156♂ヘロデ:我が娘の愛くるしい顔(かんばせ)を見て、気を紛らわせようと思ったのだ。        お前には聞こえぬか、風が吹いてその風と一緒に、大きな翼の羽ばたきが聞こえぬか。 157♀ディア:聞こえませんし、風も吹いておりませぬ。 158♂ヘロデ:む、今し方聞こえなくなった。 159♀ディア:あなたがご病気なのです。 だからおかしなものを聞くのです。 もう中に入りましょう。 160♂ヘロデ:病気なのはお前の娘だ。 あんなに蒼い顔をして、おや?        サロメ、こんな所にいたのか! 宴にも帰ってこずに、探したぞ。 ここへ座れ! 161♀サロメ:ご機嫌よう陛下、お母様。 162♂ヘロデ:さあ、さあ、私に酒を注(つ)いでおくれ。 そうして一緒に酒を飲め。        良い酒があるぞ、皇帝が私にわざわざ贈ってこられたのだ。        お前のその小さい唇をこの盃につけておくれ。 そしたら私がこの酒を飲み干す。 163♀サロメ:私(わたくし)は喉が渇きませぬ、陛下。 164♂ヘロデ:お前の娘の返事を聞いたか? 165♀ディア:尤(もっと)もな返事だと。 166♂ヘロデ:であれば、熟した果物を持て。        お前のその小さい歯で果物にしゃぶりついた、その歯型を見るのが私は大好きだ。        ほれ、ほれ、一口でいい、食うてみよ。 後は私が食ってしまおう。 167♀サロメ:私(わたくし)、お腹も空いてはおりませぬ、陛下。 168♂ヘロデ:お前の娘はよく教育されている。 169♀ディア:娘も私も帝王の血を受け継いだのでございます。 170♂ヘロデ:ではサロメ、私の隣へ座れ。 お前の母が座すこの玉座に座らせてやる。 171♀サロメ:私(わたくし)、足は草臥(くたび)れておりませぬ。 陛下。 172♂ヘロデ:行儀まで良い。 173♀ディア:娘は礼儀を知っておりますので。 174♂ヨカナ:見よ、見よ、時節は到来する。 先程から俺の言う日はいよいよ今日だ。 175♀ディア:あの井戸の中の男を黙らせて下さいませ。        いつもああして飽きもせず、私の悪口を言っています。 176♂ヘロデ:いいや、あの男が言っているのはお前の事ではない。        それに、大の預言者だ。 177♀ディア:予言なんて信じるに足りませぬ。 あなたがアレを恐れているだけ。 178♂ヘロデ:私は誰も恐れてなどいない。 179♀ディア:いいえ、恐れています。 あんな見窄(みすぼ)らしい風体の男を。        半年も前からあの男を渡せとユダヤ人達が申しているのに、何故お渡しにならないのですか。 180♂貴族1:そうですよ、陛下。 お妃様の仰る通り。 あの男を私(わたくし)達の元へ。 181♀ディア:ほら、こうして出ておいでになった。 どこからか沸いて出た。 182♂ヘロデ:うるさい、うるさい、あの男は渡しはせぬ。 あれは聖者だ、神を見た事がある男だ。 183♀ディア:相変わらず世迷い事を仰る。 184♂貴族1:殿下、神を見た者なんておりませんよ。        最後に神の目を見たエリアスが生きた時から、もう三百年と経っている。 185♀貴族2:この人の言う通りですよ、殿下。 事によったらエリアスが見たというのも、神の影なのかも知れませぬ。 186♂貴族3:アレクサンドリア辺りからそういう説き方が出ているそうだな。        そしてギリシャ人は異邦人だと…… 187♀貴族4:神がどういう事をなさるやらそれは私達人間には計り知れませんの。        神の道は暗く人間は只神の意志の下に頭(こうべ)を垂れたらいいのです、        神の力は偉大であらせられるので…… 188♂貴族1:同胞達の言う通りだ、神は恐ろしい。 しかし人間の方からその神の目を見る術はない、ないのだ。        預言者エリアスから後には神を見た者などいる訳が…… 189♀ディア:ほら、ユダヤ人が集まってきましたよ、喧しい。 黙らせて下さいませ。        退屈で聞いていられません。 190♂ヘロデ:それでももしかしたら、あのヨカナーンが預言者エリアスだという事もあるのではないか? 191♀貴族5:そうでしょう、そう思われるでしょう! 私のようなナザレ人はそう思います! 192♂貴族1:いやいや、そんな事ありません。 預言者エリアスではございません。 193♀ディア:陛下、与太話はその辺りにして、この人達を黙らせて下さいませ。 194♂ヨカナ:見よ、見よ、日は近付いた。 主(しゅ)の日は近付いた。 世界の救済者の足音が山の上に聞こえる! 195♀ディア:あの井戸の中も黙らせて下さいませ。 196♂貴族3:メシアは出現した。 197♀貴族5:そう、メシアは出現した! そして到る所で奇跡を成しているのよ! 198♂貴族3:盲(もう)の目を見えるようにせられた事もある、山の上で天使と話しておられるのを見た者もある! 199♀貴族2:ヤイルスの娘が死んだのを蘇らせました! 200♂ヘロデ:なんだ。 その男は死んだ者を生かすのか。 201♀貴族2:ええ殿下、そうでございますよ。 202♂貴族1:そうですよ殿下、死んだ者を生かします! 203♀ディア:なんと、まあ。 204♂ヘロデ:妻よ、それ以上を言うな。 そんな事はさせたくない、また出て来られては堪ったものではない。 205♀ディア:私(わたくし)はまだ何も言っていませんわ。 206♂ヨカナ:ああ、淫婦(いんぷ)が、売女(ばいた)が、バビロンの娘が!        お前は主(しゅ)のお言葉を聞いたのか! 207♀ディア:兎に角、あの井戸の中を黙らせて下さいまし。 208♂ヨカナ:いずれお前に群衆が群がる。 そうして石を投げつけるだろう。 209♀ディア:ああ、ああ、本当に苛立たしい。 210♂ヨカナ:兵士達がお前を刃で貫くぞ。 お前を盾で圧し潰すぞ。 211♀ディア:陛下、どうか、どうか、あの男を黙らせて下さいませ。 212♂ヨカナ:お前のような端女(はしため)の愚行が、二度とこの世界に蔓延(はびこ)らないよう。        あらゆる女がお前の悪行のように道を踏み迷わないよう、務めよう。 213♀ディア:あなたの妻が、ユダヤの女王が、あんなに言われているのを赦しておくのですか。 214♂ヘロデ:誰もお前の事だとは言っていないだろう。 215♀ディア:自分の妻を悪く言われて尚、この体たらくですか! 216♂ヨカナ:今にその日がくるだろう。 日は黒い布の如く染まり月は血のように染まり、        熟せない無花果(いちじく)が木から落ちるように、地の上に落ちるだろう。        そうしてその日には世界中の王達が震え怯えるのだ! 217♀ディア:ああ、狂人が、あのような狂言を!        私は唯々あの声を聞くのが嫌でございます、あの声が憎い、憎くて憎くて仕方がない。        王よ、私の王。 あなたに群がる連中の囀(さえず)りなど可愛いものですわ。        どうか先にアレを、井戸の中を黙らせて下さいまし。 218♂ヘロデ:それでは。 サロメ、舞を舞って見せよ。 219♀ディア:娘に舞わせる事はできませぬ。 220♂ヘロデ:サロメ。 ヘロディアスの娘。 舞って見せよ。 221♀サロメ:舞はいやでございます、陛下。 222♂ヘロデ:舞って見せい。 223♀ディア:娘は私の言う事をよく聞きます。 224♂ヨカナ:あれは玉座の上に、さも座っているように見えるであろう。        しかし主(しゅ)の御使(おつかい)がいずれアレを打倒する。        打倒されて、蛆(うじ)の餌に成り果てるのが精々であろう。 225♀ディア:黙れ、狂人が! 226♂ヘロデ:サロメ、サロメ。 王たる私がこうして頼んでいる。 舞え。        どうも今宵は物悲しい。 だから私の為に舞え。        舞ってさえくれるなら、何でも欲しい物を所望するがいい、私に言うがいい。 227♀サロメ:何でも? 228♂ヘロデ:私はお前に何でもくれてやるぞ。 229♀サロメ:私(わたくし)の欲しい物なら、何であろうと下さいますか。 230♂ヘロデ:ああ、勿論だ。 231♀ディア:娘。 舞ってはいけませんよ。 232♂ヘロデ:お前が欲しいと言うのなら、なんだってくれてやるぞ。 233♀サロメ:ご誓言(せいごん)なさいますか、陛下。 234♂ヘロデ:ああ、約束しよう。 私とお前の約束だ。 必ずはたそう。 235♀サロメ:何にかけてご誓言なさいますか、陛下。 236♂ヘロデ:この冠に掛けよう、命に掛けよう、神々に掛けよう! 237♀ディア:娘、絶対に舞ってはなりません。 238♂ヘロデ:さあサロメ。 私の為に舞ってくれるか。 239♀サロメ:必ずと、ご誓言下さいましたね。 240♂ヘロデ:おう、約束をした。 241♀ディア:娘よ、舞ってはいけません! 242♂ヘロデ:国を半分でもくれてやる! 美しい女王になるのはどうだ、これ以上なく美しいだろう! 243♀ディア:いけません、サロメ。 舞ってはいけません。        歳若いお前が、そのようにはしたない事は。 244♂ヘロデ:ああ、ここは寒い。 なんだ? 氷のように冷たい風が吹いている、死臭もする。        そしてまた聞こえる。 何故皆には聞こえず、私にだけ聞こえるのだ、あの翼の羽ばたく音が。 245♀ディア:陛下は病気を患っているのです。 ああして、ないものが聞こえてしまう。        お前が快い娘だと母は知っています。 だけど、舞ってはいけません。 246♂ヘロデ:ああ、ああ、風が冷たくて熱い、どうした事だ。        誰ぞ私に水を掛けてくれ、雪、雪を口に入れたいのだ、雪を持てい。        誰ぞ、誰ぞおらんのか! 247♀サロメ:大丈夫、母様。 なにも心配なさらないで。 248♂ヘロデ:ああ、やっと、ようよう息ができるようになった、あの翼の音も聞こえない。        さあサロメ。 私の心持ちがもっとよくなるよう、舞ってくれるよなあ。 249♀ディア:いけませんよ、舞ってはいけません、サロメ。 250♂ヨカナ:エドムから来るのは誰ぞ。 ボズラから来るのは誰ぞ。        召し物を緋(ひ)に染めて、それが空恐ろしい程に輝いて、偉大なる姿で歩んでくる。 251♀サロメ:勿論。 陛下の為に、舞ってご覧にいれましょう。 252♂ヨカナ:何故あの召し物は緋に染まっているのか。 253♀ディア:城へ入りましょう。 あなたも、娘も、城の中へ。 あの男の声で気が狂っているのよ。        あんな狂言が聞こえる中、娘を舞わせる訳にはいきません。        あなたがそんな目で見ていらっしゃる中、娘を舞わせたくはありません。 254♂ヘロデ:まあまあ、落ち着け、妻よ。 だが何を言おうと聞かないぞ。        私はサロメが舞わぬうちは城内へは帰らぬ。        舞ってくれると、そう言ったな。 サロメ。 255♀サロメ:ええ。 先に、褒美のお話を。 256♂ヘロデ:ああ、そうしよう。 257♀ディア:サロメ! 258♂ヘロデ:ははは、お前の娘が私の為に舞ってくれるそうだぞ。        来いこい、お前が欲しい物をくれてやろう、何が欲しいか、教えておくれ。 259♀サロメ:私(わたくし)は、あの銀の盆へ。 260♂ヘロデ:銀の盆、ほう、お前はそこに何を載せたいんだ?        なんだ、随分と可愛い事を言うじゃないか。 国を半分くれてやってもいいんだぞ?        まあ、よい、よい。 私の富は何もかも皆お前の物だ。        サロメ。 お前の欲しいというその品は、一体何だ? 261♀サロメ:──ヨカナーンの首を。 262♂ヘロデ:……ほう? 263♀ディア:まあ……! 私の娘は、何てできた子なの。 264♂ヘロデ:サロメ、サロメ。 そんな物でいいのか?        お前は母の言う事なぞ聞く物ではない。 母とは常々碌な事を言わない。        母の言う事を聞かなくていいんだぞ、お前の欲しい物でいいんだぞ? 265♀サロメ:私(わたくし)の考えで、あの銀の盆にヨカナーンの首を載せて賜りたいのでございます。        陛下、先程ご誓言下さりましたね。 ご誓言をお忘れになってはいませんね? 266♂ヘロデ:確かに約束、誓言(せいごん)はしたが……しかしサロメ。 何でもいいんだぞ?        国を半分、そうだ! 外ツ国の物でも構わないんだぞ。 私が頼んでやろう。        お前が欲しい物をやるよ、必ずやる。 只、今お前が言った物だけは所望しないでくれ。 267♀サロメ:私(わたくし)はヨカナーンの首が頂きたいのです。 268♂ヘロデ:それはお前にはやれぬ! 269♀ディア:いいえ、あなたはご誓言なさった。        妻たる私だけではなく、ここにいる誰も皆が聞いております。 270♂ヘロデ:お前には聞いていない! 271♀ディア:娘があの井戸の中の首を望むのは尤(もっと)もですわ。        あの男は私を侮辱した。 娘がこの母をどれだけ大切にしているか。 わかりますでしょう?        サロメ、舞え、王の為に舞い踊るのです。 我が娘引くではないぞ。 国王は確かにご誓言なされた。 272♂ヘロデ:黙れ! 夫たる私を差し置いてベラベラと……!        サロメ。 我儘を言うでない。 私はいつもお前に優しいだろう?        お前を可愛く思っているんだ。 だから、我儘を言うんじゃない。        男の首など。 胴から離れた首なんぞ、見ていて心地のよいものではないぞ。 273♀サロメ:私(わたくし)はヨカナーンの首が欲しいのです。 274♂ヘロデ:そうだ、宝石、瑪瑙(めのう)はどうだ? 世界中で一番大きい瑪瑙、私の宝だ。 お前の次にな。        どうだ、欲しかろうな、お前にくれてやるぞ、最も美しい瑪瑙だぞ。 275♀サロメ:ヨカナーンの首を所望します。 276♂ヘロデ:ああ、わかったぞ。 お前がそうして我儘をいうのは、私が終始お前を可愛がっている所為だな。        私を困らせたいのだな? お前があんまりにも美しいから、私はいつも困っているというのに。        サロメ、仲良くしようではないか。 そうだ! 私が飼っている白い孔雀(くじゃく)がわかるな?        可愛いぞ、お前の次にな。 私は百羽と飼っている。 宝石ではなくそちらを、お前が欲しいだけやろう。 277♀サロメ:ヨカナーンの首を。 278♂ヘロデ:まだ言うか。 279♀ディア:よく言いました、それでこそ私の娘! 280♂ヘロデ:黙れと言っている! 281♀ディア:あなたの孔雀の話は常々馬鹿らしゅうございます。 282♂ヘロデ:黙れ! サロメ。 お前が何を望むのか、もう一度よく考えてみなさい。        あの男は本当に、神の使命を受けているのやも知れぬ。        神の指先に触れた男だ、神を宿す男だ。 サロメ、お前は本当にそんな物が欲しいのか?        違うだろう、金、銀、宝石、そう、真珠に蛋白石(たんぱくせき)に緑柱玉(りょくちゅうぎょく)、        緑玉隨(りょくぎょくずい)に紅宝玉(るびい)にトルコ石に風信子石(ひやしんすせき)、        全部お前にくれてやろう。 私の自由になる物なら、何でもお前にやろう。        だからあの男の命だけは 283♀サロメ:ヨカナーンの首を! 284♂ヘロデ:<溜息> ……ええい、サロメが欲しいと言うのなら仕方ない、渡してやれ。        母が母なら子は子か、舞はもういい、気分ではなくなった。        ああ、誰ぞの上に禍(わざわい)が下るのだろう。 285♀ディア:私の娘は、よくやったと思います。 286♂ヘロデ:きっと下るぞ、禍が。 必ず下る。 <サロメ、井戸の底へ耳を澄ませる。> 287♀サロメ:──……物音が聞こえない。 あの歌うような声も聞こえないわ。        何も聞こえない。 どうして? 殺されるのよね? 私なら絶対に叫ぶわ。        <井戸の中へ> 聞こえているの? さあ、首を斬り落として! ヨカナーンの首を私の元へ!        ……なあんにも聞こえない、怖いくらい。        あっ! 今、何か落ちた音がしたわ。 でも首の音ではないわね、きっと。        もっと鋭い音、鋼の音、首よりもっと固い物。 首斬り役が剣を落としたのかしら。        殺せないの? 全く使えないのね。 誰か、誰かいないの。 288♂兵卒3:はっ! 289♀サロメ:お使いをして頂戴。 まだ死んでないのかもしれない。 290♂兵卒3:は……? 291♀サロメ:井戸の中へ入って。 私の欲しい物を、陛下が私に下さった物を、        ヨカナーンの首を持ってきて! 292♂ヘロデ:持ってきてやれ。 その銀の盆に載せてな。 293♀サロメ:早く! 294♂兵卒3:は、はっ! 295♀貴族2:ああ、王女様はなんと恐ろしい。 あのように可憐な顔(かんばせ)で、おぞましい事を。 296♂貴族1:なんてお方だ。 我々は只、細く息を呑んで地に跪(ひざまず)きて祈る事しかできない。 297♀ディア:<笑う> 陛下。 私の娘は、本当によくできた娘でございますわ。 298♂ヘロデ:お前の娘は化物だ。 私が言うまでもなく、お前の娘は化物だ。 <サロメ、銀の盆に載ったヨカナーンの首に駆け寄り、抱きかかえる。> 299♀サロメ:ヨカナーン! ああ、ヨカナーン……!        ヨカナーン。 お前はこの唇にキスをさせなかったのね。        いいわ、今キスしてやるから。 私がこの歯で食いついてやるわ。        熟した果物を食べるみたいにね。 私がそう言ったのよ。        妃ヘロディアスの娘、ユダヤ国の王女サロメを辱めたのはお前よ。        ……なのにどうして、お前は私の顔を見ないの。        私はお前の顔(かんばせ)をずうと見上げているのよ、こうして。        苛立ちや、蔑みで恐ろしかったお前の目は、どうしてつむっているの?        ねえ、目をお開きよ。 お前の瞼をお上げ。 私の顔を見て、ヨカナーン。        私が怖いの? おかしいじゃない、お前の舌はもう動かないの? どうして何も言わないの?        あれ程私に毒を吐きかけた猩々緋(しょうじょうひ)の蛇。 あんなに麗しい生き物がどうして。        あれ程憎らしかった蛇はどうしてもう動かないの?        死んでしまった、ああ、死んでしまったから。 でも私はまだ生きているわ。        でもお前は死んでしまった。 ああ、お前の首は私の物よ、ヨカナーン。        私の物だから。 私が勝手にしていいのだわ。        犬に投げてやったり、鳥がお前の顔(かんばせ)を啄(つい)ばむのを眺めたり、なんだってできるわ。        ああ、ヨカナーン。 どうしてお前ばかりがこんなにも美しいの。        お前の体は象牙、白百合の花園。        世の中に、お前の体ほど白いものはなかった。        世の中にお前の髪ほど黒いものはなかった。        世の中にお前の唇ほど赤いものはなかった。        お前の声は不思議な音楽で、私がお前を見ていると酷く心地よい声が耳に響いた。        なのに、ああ! ヨカナーン! どうしてこの月の顔(かんばせ)で私を見てくれなかったの。        お前が私を一目見たなら、きっとお前も私を好きになったわ!        その凍える程に恐ろしい目がきっと春の空のように綻んだわ!        なのにお前はずうっと神を見ていたのね、その癖私をちっとも見なかったのね。        お前の美しさが慕わしい、お前の体が欲しい。        ねえヨカナーン。 私はどうしたらいいの?        お前を知ったから私の渇きは酒で満たせぬ、私の飢えは林檎で満たせぬ。        川の水も海の水も全て全て世界中の全てを飲みほしても、        世界で一等美しいお前に焦がれた、私の胸の火が消えない。        ねえ、どうして私の顔を見てくれなかったの。        一目見てくれたら、私を愛してくれたろうに。 ええ、きっとそうよ。        ねえ、きっとそうでしょう?        死んでしまう事より麗しくよろこばしいのが、愛なのではなくて? 300♂ヘロデ:……見よ。 死んだ男の首に頬擦りをするお前の娘を。        見たか、あれをよく見たか。 なんて恐ろしい。        お前の娘は化物だ。 お前の娘こそが禍(わざわい)だ。 301♀ディア:私の娘はよくやりました。        ですから私は、ここに斯(か)うしておりまする。 302♂ヘロデ:それは私の兄弟の妻の言葉だ、二度と言うな。        さあ城へ戻るぞ。 戻るというのに、音、音が聞こえてるんだ。        虚空を打つ翼の音、嫋やかな翼の音、この音は何なんだ。        何か恐ろしい事が起こるに違いない。 その前に奥に隠れるぞ。        松明の火を消せ、月を隠せ、星を隠せ。 私はもう何も見たくない。        きっと恐ろしい事が起こるぞ。 303♀サロメ:……ああ、ヨカナーン。 私、お前にキスをしたよ。        お前の唇に私、キスをした。        お前の唇は苦いのね、キスとは苦いものかしら。        これは血の味? いいえ、もしかしたら恋の味なのかも知れない。        恋とは苦いものだというのよ、ヨカナーン。 でももう、どうでもいいわね。        ヨカナーン。 私はお前にキスしたよ。 お前の唇にキスをした。 304♂ヘロデ:──あの女を殺せ。 305♀サロメ:私、お前にキスをした。 2021.3.28 初版 羽白深夜子 2021.4.15 更新 羽白深夜子 2021.4.16 更新 羽白深夜子 2021.4.17 更新 羽白深夜子 2021.4.18 更新 羽白深夜子 2024.5.1 更新 羽白深夜子 サイトへ戻る